大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和35年(オ)727号 判決

岐阜県恵那郡岩村町飯羽間一三七〇番地

上告人

伊藤繁市

同県中津川市堅清水町

被上告人

中津川税務署長

曾根金男

右当事者間の所得税決定処分無効確認請求事件について、名古屋高等裁判所が昭和三五年四月一五日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由二の一について。

論旨は、所得税法中に政府が所得の帰属を決定し得る旨の規定がないというのであるが、同法四四条四項は、確定申告書提出義務者が申告書を提出しない場合に、政府がその調査により決定する趣旨を規定しており、政府は、所得に関する金額のみならず、何人の所得であるかをも決定できるものと解すべきは当然である。もとより、政府は、何等の根拠もなく、自由に右の決定をなし得るものでないことはいうまでもないことであつて、原判決も、所論のように、憲法、民法に関係なく所得の帰属を判定できる旨を判示しているのではなく、また、調査をしないで決定できる旨を判示しているのではない。原判決は証拠に基いて、上告人及びその長男の農業経営に関する各般の事実を認定し、農業経営の主体は、上告人の長男ではなく上告人であると認め、また、被上告人が実体調査に基き上告人の農業所得を決定した旨を認定し、よつて被上告人がした本件決定を是認したのである。所論憲法二九条、三〇条違背の主張は、原判決認定と違つた事実を前提としているのであつて採用の限りでない。

同二の二について。

論旨は、原判決は憲法及び所得税法に違背するというのであるが、要するに、上告人長男は職業選択の自由を有し農業に従事しており、本件所得はその勤労による所得であるから右長男の所得であつて上告人の所得ではないというのである。

しかし、収入が何人の所得に属するかは、何人の勤労によるかではなく、何人の収入に帰したかで判断される問題である。原判決の認定するところによれば、上告人の長男登志夫が上告人方の農業の経営主体で同人の業として農業が営まれているとは認められず、上告人が経営主体であつたと推認できるというのであるから、本件農業による収入は上告人に帰したものとすべきである。かく解したからといつて、上告人の長男が所論のように奴隷的存在になるというわけではなく、上告人が長男に賃金を支払つたと仮定しても、所得税法一一条の二により上告人の所得とは関係がない。また、被上告人が実体調査の上、上告人の所得金額を決定したことも原判決の認定するところである。論旨は、憲法、民法、所得税法等の多くの規定を引用して原判決の法令違背を主張するのであるが、これらの規定の解釈について独自の見解に立つか、あるいは原判決の認定と違つた事実を前提としているのであつて、原判決に所論のような法令違背の違法はない。論旨は理由がない。

同二の三について。

論旨は、原判決は憲法、民法、労働基準法に反するというのである。しかし、本訴の争点は、上告人方の農業収入が何人に帰したかであつて、上告人長男の上告人に対する給与請求権の有無、労働基準法の賃金支払義務の存否ではないから、所論民法、労働基準法違反の有無は本訴に関係なく、また、違憲の主張もその前提において理由がない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)

○昭和三五年(オ)第七二七号

上告人 伊藤繁市

被上告人 中津川税務署長

上告人の上告理由

一、一、二審判決で違背する憲法その他の法令の表示及その条文又は大意

一、主として違背する法令及憲法

憲法第三十条 国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う。

同第二十九条 財産権はこれを侵してはならない。

二、従として違背する法令及憲法

(一) 憲法(昭和二十一年公布)

第十三条 すべて国民は個人として尊重せられ、立法並びに国政の上で最大の尊重を必要とする(大意)

第十四条 すべて国民は法の下で平等で、社会的経済的に左右されない。

第十八条 何人も犯罪に対する刑罰を除いて、いかなる奴隷的拘束も、意に反する苦役にも服させられない。

第二十二条 何人も居住・移転・職業選択の自由を有する。(大意)

(二) 所得税法(昭和二十二年法律第二七号)

第一条(納税義務者)この法律の施行地に住所を有し、又は一年以上居所を有する個人はこの法律により所得税を納める義務がある。

第三条の二(実質課税の原則)資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属すると認められるものが、単なる名義人であつて当該収益を享受せず、その者以外のものが当該収益を享受する場合においては所得税はその収益を享受するものに対してこれを課するものとする。

第八条(扶養親族の定義)この法律において扶養親族とは、納税義務者と生計を一にする配偶者その他の親族で第九条の三の規定により(中略)所得の金額の合計が四万五千円以下であるものをいう。(後略)

第九条(所得の種類並びに給与所得金額、退職所得の金額及び山林所得に金額の計算)

所得税の課税標準は第六号(退職所得)及第七号(山林所得)をのぞく他の各号に規定する所得については当該各号の規定により計算した金額、第八号、第九号に規定した金額については各号の合計金額から十五万円を控除した金額(以下総所得金額という)により第六号、第七号に規定する所得についてはそれぞれ各号の規定により計算した金額第九条の三第一項第五号又は第六号の規定の適用がある場合においては当該各号の規定による控除后の金額(以下それぞれ退職所得の金額又は山林所得の金額という)による。

一、公債・社債又は預金の利子並びに合同運用信託の利益(以下利子所得という)はその年中の収入金額(無記名の公社債の利子並びに無キ名の貸付信託の受益証券につき受けた金額については、支払をうけた金額)

二、法人からうける利益若しくは利息の配当剰余金の分配又は証券投資信託の収益の分配(第六号九号に揚げる所得を除く)(以下配当所得という)はその年中の収入金額(中略)からその元本を取得するために要した負債の利子を控除した金額

三、不動産・不動産の上に存する権利又は船舶の貸付(地上権又は永小作権の設定その他他人をして不動産・不動産の上に存する権利又は船舶を使用せしめる一切の場合を含む)による所得(第四号又は第八号に規定する場合を除く、以下不動産所得という)はその年中の総収入金額から必要な経費を控除した金額

四、商業・工業・農業・水産業・医業・その他の事業で命令で定めるものから生する所得(第七号に規定する所得及び事業用の国家資産の譲渡に因る所得を除く、以下事業所得という)はその年中の総収入金額から必要な経費を控除した金額

五、俸給・給料・賃金・才費・年金恩給及び賞与並びにこれ等の性質を有する給与(以下給与所得という)はその年中の収入金額から当該収入金額に応じ左に掲げる金額を控除した金(後略)

六、(退職所得)略

七、(山林所得)略

八、(譲渡所得)略

九、(一時所得)略

一〇、(雑所得)略

第十一条の二(親族が事業に従事する場合の所得の計算及専従者控除)

納税義務者と生計を一にする配偶者その他の親族が当該納税義務者の経営する事業から所得をうける場合においては当該所得の収入金額に相当する金額は当該納税義務者の事業所得の金額の計算上必要な経費に算入せず、当該所得の金額の計算上必要な経費に算入すべき金額は当該納税義務者の所得の金額の計算上必要な経費に算入するものとする。この場合において当該親族の所得の計算については、当該事業から受けた金額及び当該所得の金額の計算上必要な経費に算入すべき金額はいづれもないものとみなす。

第四十四条(確定申告に対する更正及決定)

第一、二、三項省略

政府は確定申告書を提出する義務があると認められるものが、当該申告書を提出しなかつた場合においては、政府の調査により第二十六条第三項第一号乃至第三号第六号乃至第八号第十一号及第十二号に規定する事項の決定をなす。

第四十五条(更正または決定のための調査)

政府は青色申告書の提出を認められている個人の青色申告書の提出を認められている年分に係るその提出を認められている所得に就てはその帳簿書類を調査しその調査により、所得の計算に誤りがあると認められる場合に限りこれをなすことが出来る。但し申告書に記載された事項によつて所得の金額の計算所得税額失額の計算について第九条乃至第十五条の八の規定に従つていないことが明らかである場合又は誤がある場合においては、当該事項につき前条の規定により、更正をなすことを妨げない。

(2) 省略

(3) 第一項に規定する場合を除く外政府は財産の価格若しくは債務の金額の増減・収入若しくは支出の状況又は事業の規模により、所得の金額又は損失の額を推計して前条の更正または決定をなす。

第六十四条(収税官吏の諮問)

収税官吏は所得税に関する調査について、必要があるときは事業をなすものゝ組織する団体に、その団体員の所得の調査に関し参考となるべき事項(団体員の個人毎の所得及団体が団体員から特に報告を求めることを必要とする事項を除く)を諮問することができる。

(三) 民法(明治二九年法律第八九号同三十一年法律第九号)

第八十九条 天然果実はその元物より分離するときにこれを収受する権利を有するものに属す。

第六条 一種又は数種の営業を許されたる未成年者はその営業に関しては成人と同一の能力を有す。(後略)

第三百二十三条 肥料種苗供給の先取特権は種苗または肥料の代償及その利益につき其の種苗または肥料を用ひたる後一年以内に之を用ひたる土地より生じたる果実の上に存在す。

第三百二十四条 農工業労役の先取特権は農業の労役については最後の一年間(中略)その労役により生じたる天然果実の上に存在す。

二、法令に違背する理由

一、主として憲法に違背する理由

上告人の納税義務については憲法第三十条に、「法律の定めるところにより納税の義務を負う」と定められているが、原判決控訴審判決、被上告人の主張は、いづれも「上告人が認める、裁判官が判断する。社会通念による」というのであつて、所得の帰属、納税義務の所在、所得の種類、被上告人の職権等、すべて法律を逸脱している。

かかる不法な判断(独断)によつて、上告人より所得税並びに、無申告加算税を課することは財産権の侵害であつて、憲法第二十九条に反する。

即ち現行法令では、国民の権利義務、職業選択の自由、基本的な人権の平等、等は憲法で、勤労または事業経営、その他資産、または権利から生する所得の帰属等は、民法、商法、労働基準法その他の法律で、また所得税の納税義務者、課税の範囲、所得額の計算の方法等並びに政府(被上告人)の権限等を細大洩らさず明確に規定している。

然るに判示は、所得税の課税は、憲法、民法には関聯性がない。すべて、被上告人の判断によつて決定すべきものである。所得額の算定も、所得の帰属も、すべての法律に関係なく、所得税法第四十四条第四項の「政府は所得税を納める義務があると認められるものが、確定申告書を提出しなかつた場合には政府の調査により、法第二十六条各項(所得額、税額、必要経費等)を決定する。」という条項のみで、「政府は調査しないで、所得額を決定し」「所得の帰属(民法関係)、個人の権利義務(憲法関係)、納税義務者の判定(所得税法第一条及第三条の二関係)、所得額の計算(同第九条及第十一条の二関係)がすべて被上告人の職権によつて決定できる」とした判示は明らかに憲法第二十九条及第三十条違背である。

尚上告人の、前回提起した、最高裁昭和三十二年(オ)第六一六号事件判例中の「本訴の争点は所得税法上の所得の帰属の問題である」との判示が不当であつて、所得税法は確定した所得に対して所得税を課するのみの法律であつて、法律上確定しない所得(憲法竝びに民法、商法、労働基準法等で定められた所得でない所得)に就て、所得の帰属を被上告人(政府、税務署長)が判定して課税すべき規定は一項目も存在しないことは本件に於て、上告人が一審第一準備書面記述の通りであつて、前記最高裁判例が併せて、憲法第三十条違背であることを付記しておきます。

二、従として憲法並びに法令に違背する理由

一、所得税法の立法主旨が根本から無視されている。

云うまでもなく、所得税は、主として所得税法(以下税法と略称する)によるべきものであるが、現行税法が公布されたのは昭和二十二年であり、同時に旧税法(大正九年法律第十一号)は廃止されている。これは、憲法が変り、主権が天皇から国民の手に移つたと同時に民法も大巾の改正があつて、家族制度の廃止によつて、家族は単に生活の共同体であるのみであつて、戸主権、世帯主の特権等が消滅した結果によるもので、当然現行税法では政府(税務署長、本体では被上告人)の職権は、「第三種の所得金額は所得調査委員会の調査により政府において之を決定する。」(旧税法二十六条)という第一義の所得額決定権から、「政府の調査により所得額の更正または決定することが出来る。但し青色申告者に対しては帳簿の計算の誤りまたは記帳の誤り以外に更正することは出来ない。(税法第四十四条)という第二義の決定権となつた、いわゆる課税所得税法から申告所得税法に更められたわけであつて、これは政府が、主権者である天皇と代行として、主権者として国民に課税していたのを、政府が主権者である国民の公僕として、「個人は立法または国政の上で最大の尊重を必要とする(憲法第十三条)によるのであつて、現行税法では、標準率によつて課税する等のことは許されない。

また、戸主権の消滅から、納税義務者は戸主から個人に移つたのであつて、税務署長(被上告人)は個人の(税法第一条)実質所得(第三条の二)を、所得の種類別に計算(第九条)すれば足りるのであつて、この計算の場合に同一事業から同居親族が、同じ事業所得をうる場合に、納税義務者を一人として他の親族の所得も納税義務者個人の所得とみなす(所得の計算、第十一条の二)というのであつて、この場合、何人が(本件の場合上告人か、上告人の長男か)納税義務者であるかは各人の農業所得がそれぞれ何程であるかによつて、決定するのであつて、個人の所得額を別個にして納税義務者を、名義や従事する形式によつて、税務署長が判定する(判示の如き)職権を規程した法律は存在しないのみならず、そうした必要も存在しないものであるのが税法の、根底である。然るに判示は、農業所得は世帯主又は事業主に属するものであり、他の家族は奴隷的存在であつて、単に世帯主に奉仕したにすぎない。納税義務者は、経営者であり、経営者が何人であるかは税務署長が決定すべきものであり、所得額も、何等調査しないで(本件では所得額決定(乙第七号証)の算出根拠若しくは調査記録については上告人の再三の要求に対しても何等提示がないのは乙第七号証作成に就ては何等具体的調査をなさず、被上告人が、出鱈目な数字を計上したと認められる)決定する職権を有するとする判示は旧税法そのまゝ以上に税務署長(被上告人)の職権を過大に認めたものであつて、税法の立法主旨は全然無視されている。

以下各項目にわけて、その詳細を述べれば次の通りである。

二、税法並びに関係法令の各条項に違背する理由

(一) 納税義務者の定義について、税法第一条に反する。

前述した通り、判示では納税義務者は「事業の経営者であり、経営者とは、世帯主、土地の所有権、耕作権者、農業協同組合員の名義人、事業経営に指示を与へていたもの、等特定の条件を有するもの」としているが税法第一条においては、「住所または居所を有する個人」と規定しているのみであつて、判示の如き規定は、現行法律の何れにも該当しないのであるから、明らかに第一条に違背する。

(二) 個人の所得の帰属に対する判示は税法第三条の二及憲法民法に違背する。

納税義務の根源は云うまでもなく、個人の所得であるが、これについて、控訴審判決理由第四項に

「経営者が、その業によつて、生ずる利益を享受し、或いは損失を負担するのが、常識的にも明らかだ」

と述べているが、上告人と長男の如く、起居を共にし生計を一にしている親族の相互間において一方が経営者として、その利益を享受し、その損失を負担するという形態は存在しないはずである。たとへば長男が単に奴隷として、年間二百日以上勤労した(これは米を作り蚕を飼つて繭十メの大部分を生産したものである)にも拘らず、労賃も受けず農業所得の分配も受けなかつたとすれば憲法第十八条に規定する奴隷的拘束をうけたことになり、上告人の所得は農業所得ではなくて、民法第七〇三条にいう不当利得となる。

また、長男が直接農業経営に参加せず、単に労賃を得る目的で労働に従事したとすれば、民法第三二四条または労働基準法第二十四条により、本人に通貨をもつて、賃金を支払はなければならない。此の場合には、この長男の労賃は必要経費として上告人の所得から控除しなければならない。(所得の種類と所得の計算については後に述べる)而し、現実には若し同居親族の一人が、同居している親族の経営する事業の利益または損失負担を免責されんとすれば当然別居するか、または同居親族以外の事業場に労務者として労働するのであつて、上告人が農業の利益と損失を個人として責任を負ひ、長男が上告人から(父から)賃金の支払をうけ、両者が、互に扶養する共同の生計を営むということは、単なるナンセンスであり、上告人方にはかゝる事実はない。

また長男にも職業選択は自由であるから長男が直接農業経営に従事して、(労賃が目的でなく農業所得が目的で)生活していることは常識的にも明らかであつて、上告人と長男と相互間には、主従、主人と奴隷、経営主と労務者等いかなる特殊の地位も関係も存在しない。単に両者は、それぞれ土地資本、技術、労力、それぞれ、自己の有するものを提供して、共同して農業経営を行つたとみるのが、社会通念であり、この場合は、その所得は、それぞれ各人の法律上の取得分によつて、享受したと認めるべきであつて、同居親族の共同経営による所得が、世帯主または、経営主という、特定の個人に帰属するとみるのは、憲法、民法、税法第三条の二等に反する。

また、税法の第三条の二にいう実質所得者という定義を、実際に農業所得を消費したもの、利用したものと解することも不当である。即ち、被上告人の陳述竝に、一、二審判示によれば、農業所得が、原告名義の貯金となつていること、上告人が、所得を生計費に消費したことを理由の一部としているやに思はれるが、いうまでもなく農業所得の大部分(米、野菜等)は家族全員の食糧となつているが、そのために、米を食したものが農業所得者であるということはない。また、繭の売上代金を、盗まれたとしても、所得が盗人の農業所得ということは、税法上存在しない。あくまでも農業所得者とは、自から年間二百日以上就労して、大部分の米野菜を作り、蚕を飼つて繭を生産した、長男が取得する場合に、長男の農業所得ということが出来る。長男の生産した農業所得を上告人の農業所得と、するためには、長男を労務者として上告人から労賃(推計六万円位(標準労賃)を支払つたと認める以外に方法はない。

(三) 所得の種類別とその計算方法は税法第九条及第十一条の二に反する。

一、二審の判決理由によれば、客観的に存在する農業所得だから、上告人が世帯主であること、耕地の所有者、耕作権者、農業協同組合名義人であること、他の家族に経営方法の指示を与へたことの五項目によつて、上告人の所得と決定すると、言はれているが、これは税法第九条の四によれば、「農業所得は、その年中の総収入金額から必要な経費を控除した金額」と定められているから、これによらなければならない。まず総収入金額とは、本件の場合、昭和三十一年中の農産物(米一二石、麦一石、野菜若干、繭十一メの、代価の総計であり、必要な経費とは、土地建物の公租公課、農業協同組合、その他経営のための諸団体の賦課金、小作料、農器具、作業用品の経費、肥料代、農薬代、経営者以外の労務者の労賃、農業指導員、養蚕、経営指導員の報酬等すべての経費を控除して計算しなければならない。然るに被上告人の決定した所得額算出の根拠をみるに、ただ、耕作反別に対して、一定の所得額を決定している(乙七号証)而して、その収支計算方法算出の根拠については何等その正当性を証明すべき資料も提示されていないことから察するに、被上告人は何等実体調査をなさず、まつたく架空の数字を計上して、出たらめの所得額を計算したに止まり、上告人の主張する。上告人の所得(実質所得)七、三八三円、及長男登志夫の実質所得四八、九四六円とする計算を否定する何等の根拠もない。

また、第九条によれば、原告が農業組合に加入して二千円を出資していることに対する所得(乙第一号証)は、出資金の配当金一〇〇円であり、配当所得若しくは利子所得(貯金の利子も含む)、となり、(九条の二)、また九条の三によれば上告人が耕地の所有者である(乙第二号証)ことによる所得は、農地法による法定小作料約一万〇〇円、(これは公租公課として、相殺)のみであつて、不動産所得であり、上告人が小作地の耕作権者であることについては、小作料を支払う義務があるのみで、耕作権を他人に譲渡しても、農地法、地代統制令等によつて、支払つた小作料と同じ金額以上に金員を受けることは出来ないから、所得額の対照にはならない。

また、第四、五号証による、上告人が他の家族に指示を与へていたか何うかについては、明確な証言ではないから、加うるに、「だろうと思う」という程度であつて、事実の証明にならないばかりでなく。上告人が指示したか、各家族が自分の思う通りに作業したかによつて、経営方法が異なり、経営方法の相違によつて、所得額の増減に影響のあることが証明されなければならないが、投下した労働力の多少による以外に、経営方法によつて、即ち同一労力、同一規模で、所得額に大なる差違のあるものでないことは、成立に争のない、甲第四号証によつても明らかであつて、上告人が自から農耕に従事したこと以外に他の家族に指示を与へたか何うかは、問題でない。また上告人が世帯主であることによつて、特別の所得を有するということは実際上も法律上も存在しない。(戸主権は旧民法と共に消滅)ものであることは余りにも明白である。

以上の如く、判決理由に強調している、耕地の所有権、小作権、世帯主であること、指示を与へいたこと、組合に加入したこと、によつて農業所得を有するということは全く、税法第九条の規定に反する。あくまでも、農業所得とは、上告人が勤務(公務)の余暇に三十日位農耕に従事して、米野菜を作つた所得、長男が年間二〇〇日位で自から耕作に従事して生産した大部分の米、麦、繭から、肥料代、器具代、小作料を差し引いた金額(肥料代は必要経費として控除するから、上告人が支払つたということはない)であるから、それぞれ各人の生産したと推定される額の多少によつて実質所得額であるわけである。

次に、農業所得の計算については(事業所得)税法第十一条の二を適用しなければならないが、同法では

「納税義務者の経営する事業から配偶者その他の親族が所得をうける場合にはその所得と同じ金額は納税義務者の所得の金額の計算上必要な経費に算入しない」「この場合当該親族の所得はないものとする」(大意)

と定められているが、これは条文に明かな如く、第三条の二の実質所得の帰属とは別個に、納税義務の帰属を特例として定めたものであつて、同法の「納税義務者の経営する事業」の字句が、被上告人の陳述によれば、

「事業の経営者は納税義務者で経営者とは世帝主、小作名義人、農業団体組合等の名義人を指すのだ」

と解されている様であるが、この辺に、被上告人の陳述及判示の法律上の根本的な誤りが指摘される。つぎに、

「納税義務者の経営する事業から、配偶者その他の親族が所得をうける場合」

の事業から所得をうける場合、とはいうまでもなく、事業経営によつて(本件では農業経営によつて農業所得をうける場合)というのであつて、当然他の家族も共同経営者と認めなければならいなし、社会通念からも、家族が共に農業に従事する場合は、共同経営と認むべきは当然であつて、世帯主以外の家族を奴隷とみるのは憲法第十三条その他憲法の根本精神に反するし、一方同居の家族を、労務者として労賃を支払ひ、その利益若しくは損失世帯主、もしくは経営名義人個人で責任を負うというのも、同居親族は生活の共同体であるとする民法の精神に反するしまたかゝる場合(親族が利害について共同の責任を負はない場合)には別居生活をなすべきである。若し、被上告人の陳述及判決理由にある如く、上告人が、農業経営の利益も損失もすべて個人で、責任を負つていて、長男及他の家族三女澄子、母とよがすべて、たゞ労務者として労力を提供したのみであるとすれば、これは当然、労働基準法第二十四条によつて、(同法では同居親族の労働に対しても特例を設けていない)賃銀は労働者にその全額を通貨を以て支払はねばならないとの規定を適用すべきであり、これは長男若しくは三女の給ヨ所得(勤労所得)であつて、これは当然上告人(経営者)の所得の金額の計算上必要な経費に算入しなければならない。然るに乙七号証による所得額の計算に上告人以外の家族の労賃が必要経費として計上、控除されているとは認められないばかりでなく、乙七号証によれば「総収入金額から、必要な経費を控除する」という税法第九条の四の規定による算出方法によらないで、被上告人が架空の数字を計上したのみであることは、再三にわたる上告人の要求にもかゝわらず、乙七号証による所得額算出の根拠については何等その正当性を証明すべき資料の提示も、証明なされていないのみならず、被上告人の法廷における証言も、早川証人(乙七号証の作成者)の証言も「当時の農業専担者(それが誰であるか、実在したかも不明である)の作成したもので、その内容は知らない、金額についても、正当であるか何うか責任は持てない」というのみで、所得額八万九千三百五十六円が架空のものであることは当然であり、(この点に就ては上告人が第二準備書面その他に再三論及したところであるが)かかる架空の数字を、上告人の所得と断定し、上告人の主張をしりぞけた(乙七号証の算出根拠を証拠なしで正当と認めた)判決は明らかに税法第九条の四及第十一条の二に反する。

いうまでもなく本事件で当事者双方で成立の争のないのは、上告人及他の家族が、それぞれ一審判決別表の如く農業に従事していて、その所得の合計額が八万九千三百五十六円であることのみであるから、その中で原告(上告人)個人(法第一条)の農業所得(第九条の四)の実質所得額(第三条の二)が何程であるかについて争うのであるがこの場合、所得の計算方法について、税法第十一条の二によつて「納税義務者の経営する事業から配偶者その他の家族が所得をうける場合にその所得と同じ金額は、納税義務者の所得の計算上必要な経費に算入しない」のであるから本事件の場合、先づ以て、長男登志夫の年間二百日、農作業に従事したのが、判示の如く、農業の損失、及利益の負担をうけずに、たゞ賃銀の所得を目的として働いていたものとすれば、その労賃(当地方の当時十九才の男子)標準三二〇円(一日)として約六万四千円は、給与所得として上告人の所得の計算上必要な経費として、上告人の所得額から控除しなければならないし、また、長男登志夫も上告人と同一の立場に立つて、労賃が目的でなく、米、繭等の直接生産を目的として(農業所得を目的として)協同して農業に従事していたものとすれば、長男が奴隷的存在でなく上告人と同居して、上告人と同一の程度の生活をしていたことは、当人の証言した通りであるから当然、長男がその所得を享受していたものとして、その所得額を算出しなければならない。而して、その何れが納税義務者であるかについては、個人(第一条)の実質所得(第三条の二)者であるから前記各各個人の所得額と算出が先づ第一義となつてくる。然るに被上告人の陳述及判決理由によれば、上告人以外の家族は、所得を受ける場合がないというのであつて、明らかに第十一条の二に反する。

(四) 判決理由は税法第四十四条及第四十五条に反する。

被上告人の職権については、税法第四十四条第四項にいう

「確定申告書を提出する義務があると認められるものが、申告書を提出しなかつた場合には政府の調査したるところにより二十六条各項(総収入金額、必要経費、所得額、税額等)の決定をなす。」

と明記されているから、納税義務者(個人)の所得額を調査して決定するというのであつて、判決理由(控訴審)二にいう「被告において、所得の帰属をも決定する権利があるのは自明の理だ」というのは、四十四条第四項の規定に反するばかりでなく更正又は決定のための調査についても、四十五条に資産の増減、負債の状態、経営の規模等により所得額を推計する、と規定してあつて、これは所得額決定の調査を意味するものであつて、所得の帰属、若しくは、納税義務者を推認することが出来るという規定は存在しない。本事件の場合にも当然、個人としての上告人及長男、三女、母等それぞれに四十五条の規定に従つて、所得額を所得の種類別(第九条)に推計することが出来るというのであつて、土地の所有者、世帯主か否か、他の家族に指示を与へたか何うかによつて、納税義務者を推定することが出来るという規定は、存在しない。従て、本件の如く所得額として決定された八万九千三百余円の算出については、何等具体的な調査をなさず、(所得額算定(乙七号証の一作成)のため調査した事実を証明すべき証拠は何等提出されていないから、調査したとは認められない。)被上告人が、架空の所得額を算定し、これに対して、納税義務者を推定して決定処分をなしたのは明らかに税法第四十四条及第四十五条に反するものである。また、被上告人の、証拠物権と、主張のみでは、上告人の所得額が、一万円であるか、八万九千円であるか、また百万円と認むべきか、何等決定的根拠はないのであつて、所得額の不明確な、決定処分に、法律上の強制力は存在しないものであることは、当然である。

三、判決が民法及憲法に反する理由

前述した通り、税法は単に確定した所得に対して、所得税を課する方法、所得の種類、計算の方法を規定したものであつて、個人の事業経営権、取得権、未成年者の権利等はすべて憲法竝に民法、商法、労働基準法等、それぞれによつて定められているのであつて、所得の帰属や個人の権利義務等は、被上告人または、裁判官が、判定または決定すべきものではない。即ち、被上告人の長男登志夫が係争年中において、年間二〇〇日以上農作業に従事して、米、麦、野菜を栽培し、また養蚕に従事して、農業所得(税法第九条の四によつて、公租公課、肥料代、農薬代、雇人費、器具器械の消耗費その他事業経営に必要なを控除した金額)があつたことは当事者間に争がないのであつて、長男登志夫の権利については、憲法によつて上告人と相互間に、命令服従等の関係(旧民法に定める戸主権)のないことは当然であつて、憲法第十八条によつて、長男は奴隷的拘束はうけない。意に反する苦役に服させられない。と規定されてをり、当人が自由な意志で農業に従事していたこと、家庭生活において、上告人と全く共同生活をしていて、農業所得によつて平常に生活していたこと、は長男登志男の法廷における証言によつて明らかなところである。従て、上告人と、長男とが、経営者と単なる労務者との関係にあるとすれば、(被上告人の主張、判示の如く)当然、労働基準法によつて、その賃銀は通貨を以て、本人に支払はなければならないのであり、また両人の関係が、単純に共同の利害の上に立つて、自由な意志で互に共同して、農業を経営していた共同経営者だとすれば、(上告人主張の如く)、それぞれ、各人の果した役割によつて所得額を計算(経営に参画して収益の原因となつた事項について)して収益を分配しなければならない。而して前者の場合は給ヨ所得として、長男の所得であつて、上告人の所得の計算上、必要な経費として、控除しなければならず、後者の場合は、当然、両者とも、法第三条の二にいう農業所得の実質所得者であつて、両者(厳密には全家族)の中推定所得額の多額者が、納税義務者であることは社会通念及憲法民法上の個人の平等、性別、年令、社会的地位(世帯主か否か等)等によつて、社会的に差別されないとする、立法主旨によつて、明らかであつて、判決理由にいう「所得の帰属は民法第八十七条及三百二十四条に関係なく、被上告人が(税務署長が)算出根拠もなく(所得額八万九千余円が正当であることを立証する証拠は何も存在しない)決定することが出来るとする判決は、文字通り、憲法、民法、労基法、その他あらゆる法規を全然無視したものであつて、案ずるにこれは、税法第三条の二にいう「法律上帰属すると認められるもの」が「単なる名義人」である場合には「所得税を課さない」という、条文を、法律を無視して「税務署長が、独断で一方的所得額を決定し、納税義務者をも推定によつて決定することが出来る」と曲解したものと思はれるが、この点については憲法第九十八条に、

「この憲法は国の最高法規であつて、この法規に反する法律、命令、詔勅、及び国務に関するその他の行為の全部又は一部はその効力を失う」

によつて、明白であつて、被上告人の陳述及判決理由にいう「上告人が一家全員を扶養する立場にあり」「上告人の長男は単にその扶養に対する義務的観念からまたは道義的見地」から、年間二百日以上農作業に従事していたのであり「その所得はすべて上告人に帰属するのであり」従て、納税義務は、すべて「世帯主である上告人が」負うべきものだと、主張する論旨が、無効であることは上告人の、再三、再四、記述した通りであります。

社会通念からみた判決の不合理性について

以上繰りかへし記述したところによつて、一、二審判決の法令に違背する点は明白でありますが、この主張は、単に本事件のみでなく、広く税務の行政全般に関する基本的問題であるから尚少しく補足説明をすることにする。

判示の主旨は事業所得はすべて、事業の経営者に帰属するものであり、その経営者とは、土地資本を提供したもの、経営全般に配慮をしているもの、所得の収支計算をなしたもの、同居親族の中では世帯主であること、という様に、その事業に参画した形式上一定の規準を有するものであつて、その他の作業、直接作業に従事したものは、経営者ではなく、従て、所得の帰属者ではないから当然、納税義務者も、前記の経営者であり、事業に従事しているものの中誰が経営者であるかは、税務の署長、または裁判官が決定するものである。というのでありますが、この論旨が法令に違背することは前述した通りでありますが、同時に、さきに上告人の提起した、昭和二十九年分所得税決定処分取消請求に対する最高裁判決(最高裁昭和三十二年(オ)第六一号)も同趣旨のものであり、ともに憲法その他の法令に反するものであることも、上告人が本事件第一審第一準備書面別綴に記述した通りであります。

いま、この、事業の経営者と労務者、その所得の帰属等の関係を、社会的に究明してみますと、次の様になります。

上告人方の農業経営を、一つの事業会社と比較してみると、土地、建物を所有している。小作権を持つていることは投資者であつて、会社の株主に相当し、若事業全般に配慮指示を与へていたものがあれば、社長、または工場長に相当し、経営の個々について、指示を与へていたものは、設計士、技師、に相当し、収支計算、金銭の収受等をなすものは会計係、また直接作業に従事するものは職工であり、また会社の一部の仕事、宣伝、配達、等を下請しているものは請負人であります。

そこで、社長でも、技師でも、会社の収支に直接関係なく、一定の給料の支給を条件として従事していれば、単なる従業員であつて、その所得は給ヨ所得であり、その会社の経理の明細等を出来高によつて報酬をうける経理士、その製品を、一回幾ら一個幾らで配達を請負う配達業者等はそれぞれ、サービス業、運送業者であつて、そのうける報酬は事業所得、(税法第九条)であり、一定の給ヨによつて、計理、運般等の作業に従事する場合は、やはり、従業員であつて、そのうける賃銀は給ヨ所得である。

また株主のうける配当は配当所得であり、土地を提供してうける使用料、地代等は、不動産所得であり、資金供与または貸付による利子は利子所得等すべて、所得の区分は税法に規定するところであつて、その区分は、その経営形態が法人であると、個人企業であると、個人の共同経営体であるとによつて、各々、個人の、取得権、財産権、等に差違はないのであつて、この関係は、同居親族相互間においても、何等、個人の権利義務において差別されないことは当然であつて、本事件、判示(一、二審)の如く、且つ最高裁判例(昭和三十二年(オ)第六十一号、以下判例と略称)の如く、

(一) 世帯主は一家全員を扶養し家庭生活全般を統轄すべき責任ある地位にあり、(一審)

(二) 生計の主宰者は一家全員を扶養する責任上、家族構成員の生計を支へる重要な事業の経営を主宰し、(判例)

(三) 事業の経営者とは世帯主、生計主宰者、農業にあつては、耕地の所有者若しくは耕作権者、事業経営に指示を与へていた者、事業の収支計算をしたもの、であつて、

(四) 他の同居親族はたとひ、年間労作業に従事していても、それは単に世帯主の扶養に対する奉仕であつて、

(五) 従て、その労働に対しては、労賃または、利益を、受ける権利はないのであつて、

(六) ことに未成年者(十九才の男子)は民法第六条に関係なく、事業経営については無能力者とみとむべきであつて、

(七) 所得はすべて世帯主である事業経営者に帰属するものであり、

(八) 従て所得税の納税義務者は世帯主である事業経営者である。

(九) よつて、税務署長は世帯主を納税義務者と判定し、

(十) その所得額は職権をもつて決定するのであつて、その算出根拠等について、その正確性を立証することなく、また税法第四十四条第四項にいう「調査したるところによる」必要はなく、自由に決定出来る。

とする、一聯の判決論旨は、いかに裁判官が、社会の実情にくらく、独善的であるとするも、頓智問答ならばいざ知らず、いやしくも法の番人として、神聖なるべき法廷で述べられた論告としては許容することの出来ないものであります。

国税庁の不法について、追究します

つぎに上告理由には直接の関係はうすいと思ひますが間接に重要な点として、本件係争年前後から現在に至るまでの国税庁の不法について、一言述べさせて頂きます。

本件一審判決理由一の第四項にいう、「原告の援用する国税庁長官通達」とは直接所得税一ノ一五、(昭和三十三年二月十七日)国税庁長官通達

生計を一にしている親族間における、農業の経営者の判定について

をいうのでありますが、これは国税庁が本事件決定処分の如く、農業所得はすべて、世帯主の所得として、実質的に農業に従事しない場合でも、世帯主の、他の事業または給与所得に合算課税していたのを衆議院大蔵委員会から、好ましくないとの勧告をうけて、止むなく発したものであると思はれますが、表題の如く、「農業経営者の判定について」でありますが、これは前述しました様に、税法には、納税義務者は農業の経営者であるとの規定はなく、また政府(税務署長または国税庁長官)は、農業(事業)の経営者または納税義務者を判定する。という権限は許されていないのであつて、税法の規定する政府の職権は、前述した如く、納税義務者(第一条)個人の、所得の分類に従つて計算の定められた方法(第九条)により、過少申告または、二十六条による申告を怠つたと認めたときは、(第四十四条)資産または、負債の増減、価格の変動、納税義務者の経営の規模等によつて、所得額を推計し(第四十五条)、決定することが出来る。というのみであるから、前記通達は、何等法律上の根拠のない架空のものであり、加うるに、通達二の2の「親子間では子が二十五才未満の場合は経営者と認めない」(同通達の取扱について)というに至つては勿論、税法には、二十五才以下の者の事業経営は認めないという条項はなく、当然民法第六条の、未成年者は許されたる事業経営について、成人と同一の能力を有するの条項に違背するものであつて、当然憲法の個人の、尊厳の冒トクであり、大蔵委員会の勧告の主旨を暗に無視したものであつて、不法この上もないものであります。

また、本件係争の根源となつた決定処分の所得額についても、被上告人は上告人の収支計算による数字だと主張していますが、これは、当初、被上告人から上告人の所得内示額として提示されたものであつて、お知らせ制度として、毎年確定申告書の提出に先立つて、その所得額を示され、且つ、その算出の根拠については発表出来ない。この内示額に異議があれば税務署で納得のいく、収支計算書を添へて、確定申告書を提出せよと、強制的態度であつた。しかるにこれも、前記大蔵委員会から、好ましくない越権行為であるとの、勧告をうけて、三十二年度から表面上は廃止されたわけでありますが、実際には、標準所得額、なるものが提示され(確定申告前に)、その金額通りに申告しないものは正確な収支計算書や証明すべき書類の提示を要求していますが、税務署係員からは標準額の設定の基礎について、一言の説明も調査資料の開披もないことは、本事件の乙七号証の一及二に対して上告人の再三の要求にも拘はらず、その算出のための資料について、何等の提示もないのと同様であつて、これはら明かに何等調査をしないで、勝手に所得額を決定したのであつて、全く架空の数字を竝べたにすぎないことは当然であつて、本事件の判決にいう

「又、成立に争のない乙七号証の一、二、及び原審証人早川孝正、寺田保太郎の各証言によれば、実体調査をして決定したことが認められ」

というのは全くの、詭弁であつて、早川、寺田各証人の証言も、早川証人は、「私の担務ではないから内容は知らない。たゞ、示された基準額によつて計算した」と述べ、寺田証人は、部下のやつたことで、多分農業専担者のやつたことゝ思うが、具体的な事は私は知らない」。と証言しているのであつて、農業所得の、基準調査については、調査資料の提出も、担務者による証言もなされていないのであつて、乙第七号証の水稲C基本二〇、〇一、E六、二〇、H五二六、桑畑二〇、〇〇等の数字が、何を意味するものか、何を調査したのか、全然本裁判記録の範囲では不明であつて、これを「調査したことは明らかである」と認定した裁判官諸賢の、頭脳は常人には考へられない。

余談になりますが仄聞するところによれば、数年前大阪北税務署で一署員が、同署に三十年以前から、課税虎の巻として秘密に保管されていた、「課税標準表、中小企業效率表」等を複製して、部外業者に販売?され、国家の秘密ローエイ?の罪で起訴されたが、検察側から遂に、問題の秘密書類なるものが証拠として提出されなかつたため、証拠不充分として、前記税務署員は大阪高裁で無罪の判決があつた、とのことでありますが、その真偽は知らず、本事件の、乙七号証の基本と符節を合せる如き事件として、あり得べきことであります。この標準率による一率課税、課税基準が秘密にされて非公開であることが、法的にも社会常識上からも不当であることについては、上告人は岩村郵使局に勤務した十七年前旧憲法旧税法当時、税務署長が職権を以て所得額を決定し得た当時から、(当時は農業は耕作反別に一定の金額を乗じて計算し、例へば一〇アールの耕地は、家族五人の耕作でも家族一人の耕作でも所得額同一であつて、一人当りの所得額は五対一と極端に差違を生じる、従て、同一耕作面積、同一五人家族の世帯で一方は五人で農業に専従し、一方は農業従事は一人で他の四人は給ヨ所得者である場合は、一方は農業所得のみ一〇アールの所得約一、〇〇〇円と仮定すれば、一方は一人の経営でも農業所得一〇アール一、〇〇〇円、他の四人の給ヨ所得約三、〇〇〇円として、合約四千円となり、それが合計して世帯主(戸主)に課税される)その不当に就ては、常に抗争してきたところであり、また本事件抗争の眼目である税務署長が、納税義務者を判定し、所得額を、経営の実体調査をしないで、標準率によて決定出来るか、否か、については、旧税法が廃止され、現行税法の公布(新憲法と共に)された昭和二十三年から、十数年にわたつて、税務署長殿と抗争してきたところでありまして、また前記国会大蔵委員会の勧告による。

「お知らせ制度は好ましくない国税庁の越権行為である」

「農業所得はすべて世帯主の所得に合算するのは不当ではないか」

の二項も、当然法規の不備であれば法律の改正によるのであるが、立法府から好ましくないとの提言は、その税法の立法主旨を逸脱していることを指摘されたものであることは社会通念上当然であります。然るに、本事件の、一、二審の判決、上告人の提起した二十九年分事件の判例、被上告人の陳述によれば、農業所得はすべて世帯主、(一家全員を扶養すべき地位にあるもの)その他事業の経営者(土地の所有者または収支計算をしたもの)等に帰一するもので、それが同居親族の中の何人であるかは、憲法、民法の条項に関係なく、税務署長が決定する。而してその所得額が何程であるかは、実体調査をせずに、数十年来税務署で慣用してきた秘密文書(課税虎の巻?標準率表)によつて、決定することが出来る。標準率表は国家の秘密文書であるから公開できない。従つて、国民は、何人が、何程所得税を課せられても、それは税務署長の職権行使であるから法律違反、憲法違反を主張して法廷で争うことは出来ない。所得額に対する異議申立も旧税法では異議申立は期間三カ年であつたのが現行税法では、決定処分後一カ月と三十六分の一に短縮されたのであり、税務署長の権限は旧税法時代より大巾に引上げられているのであつて、一カ月以内に不服の理由に対する証拠固めなどは出来ないから、実質的には異議申立は禁止されたと同様である。というのであつて、かゝる迷論が、被上告人及代理である法務官全員の主張であり、二十九、三十一、両年度訴訟を通じて、二十人に近い裁判官の全員一致の意見であり、現実社会においても、税務署長が算出基準の納得出来ない課税額を長いものには巻かれろで、仕方なく、納付している事実は新憲法の公布されて十数年、主権在民が一般常識となつている現代の、行政史上、裁判史上空然の驚異であつて、あだかも、娯楽映画のトリツクだと思つていたゴジラがいきなり、スクリーンから飛び出して現実の市内を暴れ廻つている程の驚がくであります。

現行、国税庁の事業所得の納税義務者は個人でなく、世帯主または、事業経営者という特定の地位にあるものであり、その所得額は秘密資料によつて算定決定する。という行政ソ置の不当については、上告人の二十年来抗議しつづけてきたところであり、本事件の判決(御庁)如何に拘はらず、是正されるまで抗争しつづける決意であります。

もとより、本事件に対する御庁の御判決も、前審裁判官の言はれる社会通念よりすれば、棄却処分となることは当然であつて、るる、上告理由を述べること自体無意味であるとのお叱りをうけるかも知れませんが、御判決の結果如何にかかわらず、憲法は守らるべきであり、憲法第三十条及第二十九条ならびに民法税法に反する控訴審判決には、服従することが出来ませんので、前記の通り上告理由書を提出いたします。 以上。

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